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ミニ四駆からダンガンへ
 かつて一斉を風靡したミニ四駆の最大のブームは「第2次ミニ四駆ブーム」と呼ばれている。もちろん見てわかるように「第2次」というわけだからもちろん「第1次」というものも存在する。「第一次ミニ四駆ブーム」というのは1980年代半ばから後半にかけてのことで、コロコロコミックでは、「ダッシュ四駆郎」という漫画が連載され「レーサーミニ四駆」全盛期のころだった。しかし、「ダッシュ四駆郎」の連載が終了し、「レーサーミニ四駆」シリーズも終わりを迎えようとし、ミニ四駆ブームはだんだんと消えかけようとしていた。「スーパーミニ四駆」シリーズなども登場したが、全盛期のころにはとうてい及びもしなかった。そのときに登場したのが「フルカウルミニ四駆」シリーズである。

 一度沈みかけたミニ四駆だったが、この「フルカウルミニ四駆」の登場によってまた息を吹き返したのである。そして再び訪れたブームが「第2次ミニ四駆ブーム」なのである。そ豪してこのブームを支えたのが、やはりコロコロコミックで連載された、「爆走兄弟レッツ&ゴー」である。初めは読みきり漫画として登場したのだが、連載漫画として連載されると瞬く間に大人気漫画となったのだ。そしてこの主人公の「烈」、「豪」のマシンこそが「ミニ四駆新時代の幕開け」と称され何台にも及んでシリーズ化された「マグナム」、「ソニック」の初代マシン「マグナムセイバー」、「ソニックセイバー」である。「レッツ&ゴー」は「豪」の最大のライバル「リョウ」や、「烈」とのコーナリング対決を繰り烈広げた「藤吉」、そして意外な展開で「豪」、「烈」の仲間となった「J」など個性的な登場人物や、数々の激しいバトルを繰り広げた大神との戦い、そしてミニ四駆の頂点を目指した「WGP編」など、白熱したストーリー展開で世のミニ四レーサーたちを魅了していき、その間発売されたマシン数は「フルカウルミニ四駆」シリーズ27台にも及んだ。

 このままミニ四駆人気が続くと思われた。「WGP編」が終わり次に「MAX編」が始まっ豪樹た。しかし、ここがミニ四駆にとって大きな分かれ道だったに違いない。「MAX編」では主人公が変わり「烈矢」と「豪樹」になった。「レッツ&ゴー」を初期から読んでいる人にとっては、この主人公の交代はとてもショックだったに違いない。実際、私自身がそうであった。ここからなんとなく話の内容も面白くなくなり、あまり読ま烈矢なくなってしまった。この話が面白くなかったのは、やはり登場人物にあると思う。「MAX編」でも多くの仲間が登場していたが、どのキャラクターもあまり個性が無かったように思われる。この話からはマシンのほとんどが「エアロミニ四駆」シリーズとなったが、あまり印象的なマシンも少ない。こんなことからミニ四駆は消えていったのだと思う。そして今思えば、「第2次ミニ四駆ブーム」は「フルカウルミニ四駆」に始まり、「フルカウルミニ四駆」で終わったのだなとも思う。

 ミニ四駆の後継車として「ダンガンレーサー」が発売されているが今一つ人気がでない。ミニ四駆の「第2次ミニ四駆ブーム」を築き上げた「レッツ&ゴー」の作者、こしたてつひろ先生が書くダンガンレーサー漫画、「ダンガン狼」がコロコロコミックで始まった。90年代のミニ四駆ブームが始まったときと同じ状況なのである。

 そしてダンガン狼と共に生まれた新シリーズ、ダンガンEVOが発売され、ますますファイティングレースというミニ四駆とは違った路線での競技が主流になっている。そして生まれた問題が、初期のダンガンレーサーではタイヤがむき出しになっていないため、ファイティングレースには参加できないという問題だ。偶然にも第一次ミニ四駆ブーム時代にもこのような問題が発生しているのだ。

 それは第1次ミニ四駆ブーム初期、ミニ四駆はオフロード競技からオンロード競技へと流れが変わってきていた。そこで問題になったのが初期のレーサーミニ四駆に標準装備されていたピンスパイクタイヤである。このオンロードへの転換によって今まで発売されたマシンがオンロード用として再発売されたりもした。そしてこの転換こそが爆発的なミニ四駆ブームへとつながったのである。

 ダンガンレーサーも同じく以前発売されたマシンをファイティングレース用として発売した。ダンガンレーサーはミニ四駆と同じように方向転換を行った。この方向転換によってダンガンレーサーの進む道が大きく変わって行くのかもしれない。 

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